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どこにもない、新しい東洋医学の器具を開発しました。
東洋医学から生まれた、コリ・痛み専門の健康器具。東洋医学は古くから「疼痛疾患」によく効くといわれています。その東洋医学のしくみを応用して、家庭で手軽に「コリや痛みを」楽にできないか、と私たちは考えたのです。東洋医学では、鍼を皮膚に刺します。灸は皮膚を熱します。指圧は皮膚に圧を加えます。刺激はそれぞれ異なりますが、これらの刺激は「ツボ」や「経絡」にたいして、何かの働きを持っているように思われます。
私達は、「ツボ」や「経絡」の仕組みを、皮膚の生理現象や生体電流の増減という面から解明しようと試みました。私たちは、東洋医学のある一面しかみていないかもしれませんが、カラダに起こる変化を基にデータを集め、仮説を立てることに成功しました。そして、その仮説をもとに「コリ・痛みに効く」指圧式健康器具を開発したのです。その指圧式健康器具は、皮膚に凹凸の突起で刺激を伝えますが、例えばつらい腰や膝に貼ると、わずかな間につらさが消えるので、まるでマジックのようだと言われたのが33年前です。以来、開発と改良をくり返しながら今日まで作り続けてきました。
腰がつらい、膝がつらいといって悩んでおられるお客様が、「ああ、楽になった」と喜ばれる姿を、ただ一つの目標にして、もっと強力なものを、もっと速く効くものを、と改良を続けております。
代表取締役 小坂 勇雄
(開発者 井上 博)

代表取締役 小坂 勇雄
(開発者 井上 博)
| 商号 | 株式会社ヘルスサイエンス |
|---|---|
| 資本金 | 1,000万円 |
| 代表者 | 代表取締役 小坂勇雄 |
| 設立 | 1986年 |
| 所在地 | 〒550-0014 大阪市西区北堀江1-17-11 ニッコウビル2F |
| 連絡先 | 06-6534-0256(代表電話) |
| 社員数 | 6名(契約社員含む) |
| 事業内容 | 東洋医学応用健康医療器具の製造、卸小売 |
| 主要取引銀行 | 三井住友銀行 立売堀支店、三菱UFJ銀行 大阪西支店、大阪信用金庫 西支店 |
| 取引品目 | ガルバチップEX、ココハル、やわらぎ突起、ミラクルディスペンサ、リハビリプレッサ、楽丸、ツボマジ、ラクスタ、筋活ベルト、マジカルタッチ、電温圧42℃、Dr.圧針、その他 |
| 主要取引先 | 全国代理店、薬局・薬店、治療院、デパート、健康ショップなど |
| 商号 | 有限会社 健康科学研究所 |
|---|---|
| 資本金 | 500万円 |
| 事業内容 | 研究開発、製造 |
東洋医学の知恵と最新技術を融合し、
美容と健康機器を通じてお客様の生活の質を向上させる
世界中の人々が健康で美しく、
快適な生活を送るためのパートナーとなる
| 昭和52年(1977年) |
「井上健康美容研究所」として創業 医療器具の卸並びに小売り。 |
|---|---|
| 昭和57年(1982年) |
「井上物理医学研究所」に商号を変更
|
| 昭和58年(1983年) |
『全方向性生体イオン誘導装置』の開発に成功 小さな器具を患部に貼るだけで、どんな痛みでも消去するという画期的な治療器。 |
| 昭和60年(1985年) |
『全方向生体イオン誘導装置』が特許登録される 「有限会社 健康科学研究所(資本金500万円)」を設立 『全方向生体イオン誘導装置』を応用した貼付型指圧代用器具の製造を始める |
| 昭和61年(1986年) |
「株式会社ヘルスサイエンス(資本金300万円)」を設立 「有限会社 健康科学研究所」の製造部門の一部と販売部門を移管 |
| 昭和62年(1987年) |
「有限会社 新療研(資本金100万円)」を設立 「株式会社ヘルスサイエンス」の販売部門の一部及び、テストマーケティング部門を移管 |
| 平成元年(1989年) |
本社を大阪市西区新町に移転 |
| 平成2年(1990年) |
「株式会社ヘルスサイエンス」の資本金を1000万円に増資 |
| 平成8年(1996年) |
奈良県大和郡山市に『爽快健康館』を出店 「有限会社 新療研」の資本金を300万円に増資 |
| 平成9年(1997年) |
『爽快健康館』を『プレッサ療法普及会』に組織変更 |
| 平成16年(2004年) |
『プレッサ療法普及会』を本社事務所隣室902号室に移転 |
| 平成23年(2011年) |
「株式会社ヘルスサイエンス」「有限会社 健康科学研究所」「有限会社 新療研」『プレッサ療法普及会』を大阪市西区北堀江に移転 |
| 平成26年(2014年) |
2月12日、「株式会社ヘルスサイエンス」が「有限会社 新療研」を吸収合併 |
| 令和2年(2020年) |
弊社別ブランドとして、販売サイト「Taratine(タラチネ)」を開設 |
| 令和6年(2024年) |
「株式会社ヘルスサイエンス」「有限会社健康科学研究所」の代表取締役に小坂勇雄が就任 |
「これが欲しかった!」
腰や膝のつらさに悩む人が、「これが欲しかった!」と、救世主に出会ったように喜ぶ健康器具がある。
東洋医学の、ハリ治療をヒントに開発された、貼付式の小さな健康器具である。
この器具を貼ると、数分で、腰や膝のつらさが消えてしまうのだから、長い間苦しんでいる人にとっては、まるで救世主に出会った気持ちになるのだ。製造しているのは、社員わずか八名程の小さな会社。開発者の井上博が設立した会社だ。
「しょせんは素人の発想だ」
昭和51年(1976年)のことです。
そのころ鍼に興味を持って、医師や鍼灸師を中心とした東洋医学の研究会に参加していました。
わたしは鍼灸師の免許が無いから、鍼が使えない。だから、鍼に代わるものを作りたかったのです。
そのために鍼の技法を頭で覚えました。ツボの働きも必死で研究しました。そして、『これしかない』と、鍼に代わる器具を作って研究会で披露しました。
ところが、誰にも相手にしてもらえませんでしたね。『しょせんは素人の発想だ』と酷評されたんです。でも、自信はありました。
なぜなら、毎日毎日家族や友人を実験台に試行錯誤のすえ開発したものでしたから。試した人にはみな効果がありました。使ってみたらわかると思っていました。だから酷評のあとも試作品の改良に力を注ぎました。若かったから反骨精神があったんですね、今に見ていろという気持ちでした。
そして、研究会での評価は、1年後にひっくり返った。
「井上がすごいものをつくった」
みなが口を揃えていったという。
お灸で肝炎が劇的な回復

井上が、東洋医学に触れたのは、昭和38年(1963年)のことだ。
そのきっかけは、24歳のとき結核にかかったことからです。手術は成功したのですが、その時の輸血で血清肝炎(今のC型肝炎)に感染してしまいました。結核は良くなったのに、肝炎が段々ひどくなって、肝硬変一歩前まで進行してしまったんです。
肝臓が腫れあがって胃を圧迫し、食事が充分に取れない状態になっていた。肝臓検査のたびに数値が悪くなり医師が深刻な顔をしたのを井上は覚えているという。
「もう駄目かもしれない」
こう思った井上は、国立療養所(結核患者はここに隔離されていた)のベッドの上でお灸を始めた。
「誰かがお灸がいい、というのを聞いていたし、小さい頃祖母にお灸をさせられていたのを思い出したんです。わらをもつかむ気持ちでした。ツボなんて知らないから、手当たり次第おなかにもぐさを乗せて、線香で火をつけたんです。」
「部屋中もぐさの匂いが充満するのに、看護師さんも担当医も何にも言わなかった。気の済むまでさせておこうと思われたんじゃないでしょうか、それだけ危なかったんでしょう。それをいいことに、百か所もあちこちお灸をしました。安静時間を除いては一日中やってましたね。」
お灸をはじめて三ヶ月後、肝臓検査の結果に医師が驚いた。それまで悪化の一途だった数値が、劇的に良くなったのだ。さらに三ヶ月後、肝臓の数値は正常になっていた。
「正直、お灸でここまで良くなるとは思いませんでした。」
東洋医学はすごい。井上は喜びとともに感謝を深くした。
このできごとが、東洋医学に関心をもつキッカケになったのだという。
針の無いハリ治療器
井上は三十六歳の時、医療器機の会社に転職した。家庭用の低周波治療器の販売だった。
腹部に灸をしたら、肝臓が治った。肩や腰に電気を当てたら、いったいどんな変化が起こるだろうか。物理的な作用に関心があった。
治療器を購入したお客さまに、アフターケアと称して改善するまで、電気を当て続けた。
「ツボに電流を流すと短時間で腰痛が変化していくんです。お客さまも驚かれましたが、それ以上に私自身目を奪われました。ツボは効く。そう確信をもちました。」
短期間のうちに、井上の研究ノートはギッシリと埋まっていった。
「低周波治療器は、からだに導子をペタペタ貼り付け、電気を流すとピクピク刺激が来るものです。とても良く効くのだけれど、部品が多く本体も大きいので持ち運びに骨が折れました。」
それに低周波治療器のセールスは各家庭をまわって売り込みをする、というやり方だった。
「私はセールスが好きではありませんでした。ましてや、訪問して売り込むなどは大の苦手です。」
そこで井上は独立して、もっと小型の「針の無いハリ治療器」と呼ばれている、ツボ専門の電気治療器を取り扱うことにした。
これなら自分の好きなように売り込みができる。
「では販路はどうするのか。そう考えた時、薬局を窓口にして販売することを思いついたんです。家の周りにある薬局を一件一件歩いてまわり、お客様をよんでくれたら治療器を売ります、といってお願いしました。ただ、治療器といっても人は来ませんから『東洋医学の痛みの健康相談』というキャンペーンを行なったんです。そこでさまざまな健康の相談に乗るうちに、いつのまにか先生と呼ばれるようになりました。」
このキャンペーンが思いのほかあたり、多くの客が押し寄せた。薬局側も、置いていただけでは売れない治療器が、井上が来ると何台も売れるので、次々とキャンペーンをうちだした。
七十店の薬局の店頭に立ち、年間二百五十日もの健康相談を六年間続けたという。
『針の無いハリ治療器』は、良く効くと評判が良かった。
鍼灸に適した慢性疾患や、疼痛疾患といわれる症状が良くなっていく。
しかし、井上は良く効くのは「ツボ」のおかげなのだと知っていた。
だから「ツボ」の指導をおろそかにすると、とたんに効果が落ちた。
それからもうひとつは、毎日きちんと治療を続ける「根気のいる努力」が必要だった。 よくなった と思って数日サボると、また症状がぶり返す。
鍼を超える器具をつくりたい
「その頃ツボの勉強のため、いくつかの東洋医学の研究会に参加していました。その中の一つに本格的なプロの研究会がありまして、まわりはちゃんとした免許を持った鍼灸師やお医者さんばかり。私はその中に交じって勉強することを許されたんです。薬局での実績があったため、推薦してくれた医師がいたのです。」
井上は熱心に参加して『ツボ』の知識を蓄えていった。
研究会では、新しい鍼の技法が紹介され、実習があった。井上は鍼灸の免許が無いから実習のときは見学だけだった。
『鍼を使いたい』この思いが募った。
しかし、今から専門学校に通って鍼を学ぶ時間も資金もない。それなら、鍼の代わりをするようなモノが欲しいと思った。
「針の無いハリ治療器は、ツボに一カ所ずつ電流を流すとチクチクした刺激もあり、手間のかかる治療器でしたが、良く効きました。大きさはむかしの弁当箱位ありました。使いづらいしかさばるんです。で、この治療器をもっと小さくできないだろうかと考えました。もし、ペタンとからだに貼っておけるような大きさになれば、鍼の代わりどころか、鍼を超えることが出来るかもしれない、そう考えたんです。そしたら、鍼の免許がなくても簡単に誰でも治療ができる。」希望が湧いた。
電気をどうするのか? 試行錯誤のくり返し
『鍼を使いたい』という最初の思いが、やがて鍼の代わりをする『超小型の電気治療器』を作りたいという思いに変わっていった。
大きさを『コイン大』と決めた。からだに貼るのだから、できれば一円硬貨大。最大でも五百円硬貨大だ。問題は電気だった。電池を使えば、電池より小さくはできないし、充電が必要になってくる。半永久に使用できる電気が必要だ。
「充電のいらない電気はどうやったら作れるか、それこそ理科の時間でならったことを思い出し、電気に関する参考書を読みあさりました。学生の頃は退屈だと思ったけれど、目的があると面白いように頭に入ってくるんですね。そして、ガルバーニ電流に行きつきました。金とアルミという、種類の異なった金属を電極にして電流を発生させることにしました。これなら充電する必要がない。思いついたときはうれしくて、宝物を見つけた時のようにわくわくしました。」
しかし、もうひとつ大きな問題があった。
電気には+極と−極がある。+−をうまく組み合わせて、一つの器具にしなければならなかった。
+−を間違えて『ツボ』に当てれば副作用がある。井上が一番苦労したのがここだった。
どうすれば副作用なくツボに電気を当てられるか。いくら考えても、いい答えがでない。もうこれ以上に考えられない状態がしばらく続いた。
「寝ても覚めても、というのはこういうことかと思いました。同じ所をぐるぐるまわっている。しまいには考えようとすると眠くなってしまう状態です。こんな状態が何ヶ月も続きました。」
ある日、車の運転をしている時だった。ふと、唐突に『古池や、蛙とび込む、水の音』の句が頭に浮かんだ。
「池にカエルが飛び込んで、水面に波紋が広がる場面が見えました。そして、次の瞬間、中心から外側に向かって電流が波紋のように広がっていく様子が見えたんです。見えたというか、頭の中のイメージとしてですが、まるで白昼夢みたいにハッキリと見えたのです。そのとき、これだ、と思いました。理屈よりも深い直感みたいなものでした。」+−という対立したものが一つにまとまって、電流が波紋状に流れるという、画期的な構造がそこにあった。ついに出来たのだ。
それまでは試作品を作っては試し、また作るというくり返しだった。半分あきらめかけていた。これ以上に考えられない状態だった。
波紋のイメージとともに見えた『金属電極のしくみ』。それはヒントではなく、いきなり完成した形として井上の前に現れたのだ。
「私はすぐに自宅に帰り、イメージで見た通りの構造の器具を作りました。妻にどこかつらいところはないかと尋ねると、肩から背中にかけてコリがあるという。私はすぐ今作ったばかりの器具を妻の肩に押し当てました。二分もしないうちに、肩はもう楽になった、背中に当ててくれ、と妻が言います。言われるまま次々と押し当て、わずか五、六分ですっかり楽になってしまいました。私はその日のうちに近所の友人や知人にテストしました。結果は誰もかれも大成功でした。」
参加していた東洋医学の研究会にも、試作器具を持ち込んだ。しかし、器具を見た医師や鍼灸師は笑った。
「針の無い器具というだけで、そんなばかな、という態度でした。原理を説明しても理論的にはわかるがこんなもの効くわけがない、と頭から否定されました。誰にも相手にされない状態でしたね。でも平気でした。プロの治療師たちは鍼が使えるから自分の技術を磨けばいい。けれど鍼の使えない私はプロの腕に並ぶくらいの道具を作りたい、その一心でした。」
そんな一生懸命の井上を見て、何人かの医師が心動かされ「まあ、一度試してみるだけでも」といって試作品を持って帰った。
次の月の会合で、試作品を試した医師が「効いた」という。
「私が効く効く、というよりひとりのお医者様が試したという実績が大きかったのです。それなら試してみようか、と言われる方が何人も出てこられました」
そのようなことが毎月続いた。半信半疑だった医師が次の研究会で「ほんとうに効く」といい、井上のまわりには人垣ができるようになった。試した医師の意見を入れて、器具の改良もかさねた。
研究会では「井上はスゴイものを作った」と評価が一変したのだった。
「とうとうわたしは『こんな器具があったらいいのに』と、考えていた通りの器具をつくったのです。器具を作るときに目標にしたのは、① 効果があること ② 速く効くこと ③ 簡単で、手軽であること ④ 副作用がなく、安全であること これらすべてをクリアしました。そして、なにより私がうれしかったのは、本格的な東洋医学の治療が、家庭で簡単にできるということでした。」
最後に、開発者のことばを添えて締めくくることにしよう。
「もし私が結核にかからなかったら、お灸のすごさを実感することもなかったし、東洋医学に出会うこともなかったでしょう。人生のハプニングはおもしろいものだ、とつくづく思います。何にヒントがかくされているかわかりません。だからこそあきらめずに探求できるのです。腰や膝が楽になって、長年のつらさから解放された方に泣きながら感謝されるときが『本当に作ってよかった、あきらめないでよかった』と、実感する瞬間です。東洋医学は奥が深いものです。この器具を使って、これからも、もっともっと多くの方に役立つことを願っています。」
エレキギターを弾くシンガーソングライター。 黄色いエレキギターを手に、80年代のオーバードライブサウンドをこよなく愛するギターシンガー。 その他にも、司会、タレント、舞台役者、声優、ナレーターとしてマルチにご活動されています。

【 大阪環状線 ドア上ポスター 】
掲出期間:2024年12月1日〜2025年3月31日
掲出箇所:大阪環状線 電車内
![株式会社ヘルスサイエンス[東洋医学から生まれた、コリ・痛み専門の健康器具]](https://taratine.site/common/img/logo-footer.png)
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